津軽三味線 正貴会 ←トップページへ

代表紹介 津軽三味線とは
和楽器ユニット 和響 北村姉妹 まお みり



三味線の種類

太棹三味線 :津軽三味線、義太夫節、浪曲(浪花節ともいう)

中棹三味線 : 地唄、常磐津節、清元節、うた沢節、新内節

細棹三味線 : 長唄、小唄、端唄





津軽三味線以外の三味線音楽


義太夫節
浄瑠璃の一流派
一世竹本義太夫が江戸初期に10種以上もあった浄瑠璃を集大成し、1684年大坂道頓堀に、竹本座の旗揚げをして成立させた。
人形を操るのに合わせて語る人形浄瑠璃として発展をとげた。
義太夫節だけでも公開され、チョボといって歌舞伎の伴奏音楽にも用いる。



常磐津節
宮古路豊後のじょうの豊後節が1739年風俗を乱すとの理由で禁止された後、門人文字太夫が江戸ではじめた。
はじめ関東文字太夫と称したが、町奉行の注意で1749年常磐津と改めた。
三味線の佐々木市蔵、鳥羽屋里長、岸沢小式部の協力により発展した。
常磐津節は、歌舞伎舞踊の伴奏音楽として進歩した。
演奏法は、ふつう清元節と同様、三味線2丁、語り手3人の「2丁3枚」で編成されている。



清元節
邦楽・江戸浄瑠璃の一流派。
常磐津節、富本節と共に豊後3流の1つである。
1814年富本節の名手二世富本斎宮太夫が清元延寿太夫と名乗って創始した。
はじめは富本節を改調して取り入れた作品が多かったが、二世延寿太夫のときに流行の俗謡や端唄などを吸収して、しゃれた曲風を完成した。



長唄
江戸で歌舞伎舞踊とともに発達した長編のうたいもの。
検校達が小唄を意味の通じるように数編組み合わせたもの(後に地歌と称する)や、歌舞伎の伴奏用に小唄を用いたのが次第に長編化したもの(長唄)が出現した。
三味線の右手の技巧による早いテンポの演奏が特色であり、笛、太鼓、小鼓、大鼓なども伴奏に用いるので、曲調は派手で爽快である。



地歌
京坂地方で発生した三味線伴奏による歌曲。
土地の唄という意味で地唄とよばれるようになった。
京都の盲人法師の作曲、演奏が主だったので、法師唄とも京唄ともいう。
長唄、端唄もこれである。



端唄
端歌とも書く。地唄の一種。長唄に対する語。
長唄と端唄の区別は、歌詞の長短によるよりも、曲節の長短、内容によると思われる。
江戸と上方で発達したが、文化・文政以降は江戸端唄が盛んになり、現在では江戸端唄の略称となっている。
これは完成した小品の三味線歌曲で、のちこれからうた沢と小唄が派生したが、両者に比べて、素朴中庸の味が特色である。



うた沢節
江戸端唄うた沢節の略称。
19Cの中頃、江戸の通人達の間で流行した端唄を主体に、種々の音曲の要素を取り入れて、繊細優美な情緒をたたえたものである。
端唄愛好者の頭領ともいえる笹丸が1857年に歌沢大和大じょうを受領し、歌沢節と称して一派を立てたのが始まり。
その後、地味好みの「歌沢」派(平田虎右衛門)と派手好みの「うた沢」(柴田金吉)の二派に分かれ、今日に至っている。
歌詞は両派同じものが多く、お座敷音楽として発展してきた。



小唄
江戸末期にできた三味線伴奏の小歌曲。江戸小唄とも、端唄、うた沢節より間が速いため、早間小唄とも言われたことがある。
当初は端唄、うた沢節の歌詞をそのままに、曲だけ手を加えたものが多かった。しだいに、独自のものが作られ、一般に普及していった。
小唄の三味線はバチを使わない爪(つま)弾きを本格とし、声をおさえた発声法が用いられる。



浪曲(浪花節)
三味線を伴奏とする語り物の一種。
仏教の声明に源を発する説教節や祭文を母胎とし、うかれ節、ちょぼくれ、ちょんがれなどと言われていたものが洗練され、物語、講話、浄瑠璃、琵琶なども加味され形成された。
まず関西地方に栄えたので浪花節と呼ばれるようになった。
最初は、門づけ芸であったが、後に大衆化した。






   
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